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男闘呼組 / DAYBREAK    1988/08/24発売

成田昭次高橋一也岡本健一前田耕陽

作詞:大津あきら/作曲:Mark Davis(馬飼野康二)/編曲:松下誠・Mark Davis(馬飼野康二

男闘呼組(おとこぐみ)は、1980年代に、ジャニーズ事務所からデビューした、成田昭次高橋一也岡本健一前田耕陽による4人編成の男性アイドル、ロックバンドグループ。1993年6月30日付で解散。現在、ジャニーズ事務所に所属しているのは、岡本健一だけである。

岡本健一 (おかもと けんいち、1969年5月21日 - 、リズムギター)
成田昭次 (なりた しょうじ、1968年8月1日 - 、リードギター)
高橋一也 (現・高橋和也) (たかはし かずや、1969年5月20日 - 、ベースギター)
前田耕陽 (まえだ こうよう、1968年8月16日 - 、キーボード ※元ドラム)※リーダー

1984年、事務所内で仲の良かった成田と高橋の2人が、「でたらめロックバンド」というプライベートバンドを結成。

同年12月末、雑誌『マイアイドル』(1985年3月号分)の撮影に、成田・高橋・岡本の3名が初めて揃って、「ジャニーズJr.」として参加。(この3月号の誌上で、ジャニーズJr.の中から更に数名を集めてバンドグループを結成するという企画が発表された。)

1985年になり、この3名に対して「東京」というグループ名を社長が命名。

新たに遠藤直人が加わり、4人で出演した明治製菓のチョコレート「アーモンドゴールド」のCMが、同年2月からオンエア開始。(CMソングは彼らの初オリジナル曲「誠 ほれたぜ」)

守屋二郎が補佐メンバーとして新たに加わる。その後、「東京」の他に「東京男組」(後述)とも名乗るようになり、同時期に2つのグループ名が存在した。

更に補佐メンバーとして、前田耕陽が「東京男組」の時にのみ参加。

同年3月、守屋二郎が「高校受験の為」との名目で脱退。 そして、高橋の紹介により社長にスカウトされて事務所に入った土田一徳が、守屋との入れ替わりで加入しキーボードを担当。成田・高橋・岡本・遠藤・土田の5人で、グループ名も新たに「男闘呼組」となり、同年4月3日からはテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも出演開始。しかしその後、土田がメンバーから外される。以後、土田は俳優活動に専念。

同年4月末、成田・高橋・岡本・遠藤に、前田を加えた計5名で「アーモンドゴールド」の新バージョンCMの撮影をする。(放映開始は同年9月から)

やがて、キーボード担当だった遠藤も脱退。以後、少年忍者のメンバーとなる。

元々の主要メンバーである成田・高橋・岡本の3名だけでの活動が少し続き、明治製菓のチョコスナック「おばけランド」のCMに出演。

「東京男組」の時から時折サポート的に参加していた前田耕陽が、ドラム担当として正式に男闘呼組に迎え入れられる。これにより、高橋の担当楽器がドラムからベースギターに変更。しかし、間もなくして前田の担当楽器もドラムからキーボードへと変わった。 その後は、2人のプロミュージシャン(ドラムとキーボード)をサポートメンバーとして迎え、6人編成のバンドスタイルで活動していく。

1986年1月、初の冠レギュラー番組『アイドル花組おとこ組』放送開始。

同年4月27日、名古屋市民会館にて念願だったファーストコンサートを開催。

本格派ロックバンドをコンセプトとしていた。『DAYBREAK』(1988年発表シングル、オリコン最高チャート1位)でレコードデビュー。その際のキャッチフレーズは、「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」だった。続いて『秋』『TIME ZONE』などのヒット曲を残していき、 1991年発表のシングル『ANGEL』からは自作曲が中心となる。尚、すでにメディアへのメンバーの露出が多かったことや、事務所側の期待の大きさもあったせいか、レコードデビューより1年半前の1987年3月の時点で既に、当時の音楽番組の雄であったフジテレビ「夜のヒットスタジオ」への初出演を果たしている。

1993年6月30日付けで、突如グループが活動休止(実質的な解散)となる。その理由は、高橋が事務所を解雇された事に端を発する。以前から高橋による反抗的な行いが続いており、事務所の副社長であり実質的な経営権を握るメリー喜多川が激怒。同年6月5日 - 6月30日にメンバー4人で主演していた舞台『スラブ・ボーイズ』が終了すると同時に、高橋を解雇した。これによりグループは活動休止(解散)を余儀なくされ、予定されていたその年の夏のコンサートツアーも、全公演のチケットが完売だったにも関らず全て中止となってしまった。当時全くの謎とされていたこの解散劇については、後に高橋が「一也」から「和也」に改名した際の女性週刊誌(誌名未詳)のインタビュー記事にて初めて明らかとなった。 また、当時の写真週刊誌では高橋のドラッグ使用疑惑にも触れられており、「疑わしきは罰する」というジャニーズ事務所特有の掟により解雇通告・解散命令となったとされている。 岡本が解散後に「(グループ名の通り)本当に闘いを呼んでしまった。」と言っているように、活動中は闘いを呼ぶグループであった。
解散後は、成田はシンガーソングライターとして、高橋・前田・岡本の3人は、俳優としての活動を始めた。

【エピソード】

デビュー前より音楽的志向が強く、後にコンサートにて「ペンライトは使うな」と呼びかけるようになった。また、イメージ的にパンクロック的なノリを持っており、「ビートルズなんてクズだ」という発言をしてしまった為、当時の音楽ファンから大きな非難を浴びた事もある。そして、“所詮はジャニーズのアイドルバンド”との偏見や批判の声もあったが、4枚目のアルバム発表時からはメンバー自身が作詞作曲を手掛けるのが常となってアーティスト色も強まり、アイドルバンドとの呼び声も消えていった。 後に前田はバラエティ番組内で、楽器経験のなかった前田自身は「初期は演奏しているフリだけだったが、自作曲をプレイしていた後期は演奏を行っていた。」と語っている。
1989年に紅白歌合戦に出場した際には司会の武田鉄矢から『男の闘志を呼ぶ組』と紹介された。

成田と岡本は事務所の先輩の野村義男に師事してギターを学んだ。(その後、SMAP木村拓哉が岡本にギターを師事している。)

男闘呼組の解散に関しては、諸説が存在する。

高橋が素行不良で1993年6月30日付けで解雇された事によりグループを脱退。この時をもって解散と見るのが一般的な説(解散後まもなく、高橋本人が女性週刊誌に事務所を解雇された経緯についてのインタビューに答えている)。

1994年の春に男闘呼組のファンクラブが解散となった為、この時が解散だという説。

そもそも男闘呼組は解散宣言をしていない。「高橋が解雇されたからグループも解散」とは一部のマスコミによる見方であり、あくまで“活動休止状態”に過ぎないという説。

しかし、岡本が現在でもジャニーズ所属という点や、高橋の一連の解雇までの経緯などから、再結成はほぼ絶望的だとされている。

TOKIOの城島茂がデビュー時の男闘呼組とドラマ出演など頻繁に行動を共にしていた。

2009年9月27日、成田は大麻取締法違反で、警視庁渋谷署に現行犯逮捕。された。

男闘呼組 - 「DAYBREAK」 「秋」 「TIME ZONE」
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