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浜田麻里 / Return to Myselfしない、しない、ナツ。 【PV】  1989/04/19発売

作詞:浜田麻里/作曲:大槻啓之/編曲:大槻啓之・ランディ・カーバー・グレッグ・エドワード

デーモン小暮閣下がアルバム『GIRLS' ROCK』でカヴァーした。Miもカヴァーしている。
浜田麻里 / Return to Myselfしない、しない、ナツ


カネボウ化粧品'89 夏のキャンペーンソングに起用され、大塚寧々主演のCMが大量にオンエアされた。サブタイトルの「しない、しない、ナツ」も、当時のカネボウのキャッチコピー「化粧なおし、しない、しない、ナツ」からとっている。

カネボウ化粧品 UVファンデーション 大塚寧々 1989年


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オリコンシングルチャートでは初登場5位を記録し、前作に引き続き2作連続の同チャートTOP10入りを果たす。その後、タイアップの効果が大きく出たため、約1ヵ月後の同年6月5日付のオリコンシングルチャートで浜田は初の1位を獲得した。最終的には浜田の最大のヒット曲となった。

同年に発売されたアルバム『Return to Myself』もオリコンチャートで1位を獲得した。また、本作は浜田のシングルで唯一のオリコン1位獲得作品である。

浜田麻里

中学生の頃からコマーシャルソングの収録に参加していた。都立武蔵丘高校入学後はパンクロックバンド「麻里バンド」を結成、のちに青山学院大学に進学し「Misty Cats」のヴォーカルとして活動。1983年「麻里ちゃんはヘヴィ・メタル」のキャッチフレーズでメジャーデビュー。1980年代に女性ロックヴォーカリストの旗手として注目を集め、当時のハードロックジャンルとしては異例ともいえるアルバム売り上げを誇っていた。1985年には初のシングル盤となる「Blue Revolution」を発表。この頃からプロデューサーとしての活動も行うようになる。



1987年発表の「In The Precious Age」からスタジオを海外へ移し、著名なプロデューサー、ミュージシャンを起用してアルバムを製作するようになる。この頃から初期にみられたハードロック色の強い曲調からポップさも取り入れた幅広い音楽性を表現し、ファン層をさらに広げる。1988年にはソウルオリンピックのNHKのテレビ・ラジオ中継のイメージソングとして「Heart and Soul」が採用された。翌1989年の『Return to Myselfしない、しない、ナツ。』がオリコン初登場5位。その後、プリンセス・プリンセスの「Diamonds」や工藤静香の「嵐の素顔」などと熾烈な1位争いの末、登場6週目にして1位を獲得した。同タイトルのアルバムも1位を記録した。また同年に行われた日本武道館での単独コンサートも成功させた。



1990年代に入るとアジア、ヨーロッパなど海外でもCDデビューを果たした。1993年にはチャリティーグループ「USED TO BE A CHILD」に参加。1996年にはアルバム「Persona」を発表するが、以降ライブ活動はしばらく休止する。2002年、赤坂Blitzにて9年ぶりとなるコンサートを行った。以降はほぼ隔年ペースでオリジナルアルバムを発表、年1回のペースでライブツアーを行ってきた。2010年、アルバム『Aestetica』の発表後のライブツアーはBSで放送され話題をよび、同ツアーの中野サンプラザの最終公演をDVD化した『Mari Hamada Live in Tokyo "Asthetica"』は2011年、9月9日付けオリコンDVD音楽デイリーチャートで1位(週間2位)、総合チャートでも3位(週間8位)にランキングされ、再び評価が高まっている。


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